このブログを見てもらったらわかるように、私の文章はたいしたことない。
本人は、結構気にしている。
やはり、ブログを書く以上、たくさんの人に読んでほしい。
もっと本心を書くと、たくさんの人が読んでくれるようになると、広告収入もガッポリ!
何のことかというと、このブログの端などにあるリンクは広告です。
この広告を、あなたがクリックすると、広告主から広告料がもらえます。
金額的には、1クリックが数円とたいしたことはありません。
しかし、本業の仕事以外での収入なので、その価値は何倍にも膨れ上がります。
その喜びは、宝くじやギャンブルなどに似ているのかもしれません。
さて、そんな腹黒いたくらみを持ちつつ、私は考えました。
どうすれば、たくさんの広告収入を、いえ、たくさんの人にブログを読んでもらえるか?
答えは簡単です。
面白いものを書けばいいのです。
そうすれば、話題になり、たくさんの人が訪れるようになります。
しかし、その面白いが難しいのです。
そこで、私は考えました。
何か楽して、いえ、効率よく、いえ、語彙が不足しているので、言い訳すら思いつきません。
そんなことを考えながら、漫画を読んでいました。
普通は、タイトルなどは書きません。
なぜなら、それについて非難することもあるからです。
どうせ、こんなブログなんて誰も読まないだろうと思い、悪口を書いた日には。
すると、それに対する不満の感想が・・・
やはり、誰が見ているかわかりませんね~
後々の説明の助けになるかも知れないので、今回は私の方針を変えて漫画のタイトルを書きます。
私が読んでいた漫画ですが、ドラゴン桜です。
ドラマにもなっていたので、知っていると思います。
しかし、月日の流れは速いものです。
誰もが知っていると思っていても、世代が変われば常識も違います。
私が、常識って変わるんだなと感じた話をします。
子供のころに、ハイパーオリンピックってゲームがはやりました。
よく覚えていませんが、ひたすらボタンを連打します。
だた、早くボタンを押すだけです。
すると、人は考えます。
もっと、楽する方法はないものか?
つまり、もっとゲームで高得点を取る方法はないものかと。
そこで編み出されたのが、プラスチックの定規を使う方法です。
このゲームを知らない人にとって、ゲームと定規は結びつかないかもしれません。
定規をはじくことによって、その反動で定規がしなります。
そのしなりを利用してボタンを連打させます。
ちょっとイメージしにくいかも知れません。
もっと、詳しく書きたいところですが、今回の趣旨は違うのでこの辺で・・・
そのように、画期的なテクニックが話題となり、有名となりました。
私たちの世代にとって、当たり前のゲームです。
ハイパーオリンピックのゲームイコール、定規でバシバシ!
バシバシとは、定規がボタンを連打する音です。
昔のことですが、アルバイト先で、ゲームの話になりその話をしました。
「なにそれ?」
たった、5歳ぐらい年下の人から言われました。
子供のころの5歳は、常識すら違うようです。
そのように、あたりまえだと思うことも、説明が必要です。
そこで、ドラゴン桜の内容の説明をちょっと・・・
この漫画は、どうしようもない落ちこぼれの生徒が、東大を目指す漫画です。
過去にも、東大を目指すような内容で、話題になった漫画はあるかもしれません。
話題になる以上、理由があると思います。
私が考える理由とは、テクニックを駆使するところではないかと思います。
もし、私の考えが正しいとすれば、今の世の中をあらわしているのかも知れません。
楽して、何かを得る。
それは、棚からぼた餅のようにも見えるかもしれません。
大変、考えさせられる漫画です。
ところで、テクニックを駆使して、楽できるのでしょうか?
この漫画の主人公は、楽しているのでしょうか?
私の感じた事は、やっぱり学問に王道なしです。
努力は必要なようです。
それでも、テクニックは、無駄な努力を減らします。
私は、過去に簿記を勉強したことがあります。
結構な年月勉強しました。
簿記を勉強するにあたって、とりあえずのゴールは、日商簿記1級です。
人によったら、ゴールはそれぞれだと思います。
簿記で一番難しい試験は、日商簿記1級です。
同じ程度難しいって試験もありますが、ここでは日商簿記って事で・・・
日商簿記のほうが、その試験より受験者数が多いので。
この試験は、70点以上で合格ですが、競争試験と言われています。
競争試験とは、大学の入試試験と同じ、上から何人合格って感じの試験のことです。
その試験を、何度も何度も受けました。
いろいろな勉強を試してみました。
そして、その試験に合格しました。
もちろん、テクニックも使いました。
で、その秘訣を他人に聞かれたとします。
「基本をしっかりする」
私には、これしか言えません。
これは、すべてにことに通ずるのではないでしょうか?
それは、文章でも同じことが言えるのでは?
私は、今落ち込んでいます。
今回のテーマの入り口に持ってくるまでに、ここまで長くなりました。
それは、文章を書くテクニックがない証拠です。
論理的に、考えられない証拠でもあります。
その漫画の中には、いろいろな教育者のコラムみたいなものもあります。
それを読んでいると、とてもわかりやすい文章がありました。
もっと言うと、その人の文章に感動しました。
なんて、わかりやすい文章なんだ~
私は、過去にたくさんの本を読んだことがあります。
仕事もせずに、半年ぐらいですかね~
その中で、一番読みやすかった本が、わかりやすい文章の書き方ってタイトルの本だったと思います。
そして、タイトルを見ただけで、手に取ることもしなかった本で印象的な本が、ベストセラーの書き方って本です。
テクニックを求めている私としては、そんなわかりやすい文章を書いている人のコツが知りたいです。
そして、そのコラムを書いている人の出版物がないか調べてみました。
すると、その人が論理的な文章の書き方について本を書いていました。
すかさず、図書館で予約しました。
感想です。
眠いよ!
ちっとも、参考になりませんでした。
ドラゴン桜に出てくる、コラムの文章を書いている人は、教育関係者です。
今回、私が読んだ本の作者も、そんな受験のテクニックを教える人です。
そのため、話が受験関係の話が出てきます。
受験といえば、難しい問題が出てきます。
そこに出てくる例題も、難解な文章です。
それを、論じるような内容です。
ところで、難解な文章って必要でしょうか?
私は、難解な文章など、本来の目的を達していないと思います。
単なる、自己満足や自己陶酔としか思えません。
言葉とは、他人に伝わってこそ、その意味があります。
しかし、私たち日本人は、意味がわからないものや難しいものをありがたがる傾向にあります。
たとえば、文章の草書です。
私など、何を書いているのかわかりません。
それでも、私たちは、草書をうまいと思いありがたがります。
それ以外に、お経です。
あれなど、まったくわかりません。
私は、宗教について調べたことがあります。
さて、お経って何でしょうか?
実は、今生きている人に対しての、戒めみたいなものが書いてあります。
決して、死者に対してではありません。
人間は、いろいろな悩み苦しみを持ちます。
それは、肉体を持つことによってって事もあります。
肉体を持つがゆえに、お腹もすきます。
もし、あの世があれば、肉体からはなれることによって、その悩みもなくなります。
だから、死者にとって、お経は意味がないものかも知れませんね。
そう断言すると、怒られるかも知れません。
ま~、気持ちって部分を考えると、まったく意味がないとはいえないかも知れません。
さて、なぜお経は意味がわからないままなのでしょうか?
どうも、ありがたいものは、意味がわからなくてもありがたいって考えが根底にあるようです。
それでも、意味が知りたくなるのが人情です。
そこで、現代語に訳したお経を考えた人がいます。
どうでしょうか?
私の感想は、ありがたみが少し減少です。
そのように、わかってしまえば、がっくりって事もあります。
だから、本来の目的とは違う、難解な文章がはびこるのでしょうか?
なぜ、これほどにも・・・
言葉や文章は、完全に情報を伝えません。
受け取り手によって、いろいろな受け取り方があります。
不完全な情報は、いろいろな解釈が出来ます。
もし、その書き手が有名な賞などを取ったとしたら、その信者ともいえる読者は、さらに解釈を加え神聖化するのではないでしょうか?
一番のいい例が、聖書です。
外国では、大変ありがたがられています。
私は、過去に全部読みました。
最初から最後まで。
新約聖書と旧約聖書です。
あなたは聖書に対して、どんなイメージですか?
すばらしいことが書かれていると思います?
常識は、時代によって変わります。
だから、聖書で引用されるのも、その時代に即したものがクローズアップされます。
そのため、完全無欠のありがたいイメージのように思われています。
かなり昔のため、はっきりとは覚えていませんが、聖書には女子供を軽く扱ったような文章があったと思います。
それを読んだとき、レディーファーストのアメリカで、聖書が問題にならないものだと思いました。
このように書くと、信者からは反対の意見が述べられるでしょう。
しかし、私にはこのように感じました。
これも、言葉や文章が、情報を100%伝えないためではないでしょうか。
こんな、難解な文章に否定的な私ですが、過去には難解な文章にあこがれたことがあります。
そんなときは、ふだんの言葉も難解になります。
たぶん、そんな自分に酔っていたのでしょう。
しかし、それもあるときに変わりました。
おっと、こんな時間です。
ど~せ、誰も読まない文章を、だらだらと書くのもいやになってきました。
とりあえず、今回は未完ということで・・・
この続きは、別の機会に、別の文章で。
こんなことでは、論理的な文章なんて程遠いですね。
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