今日、ジョディ・フォスターのコンタクトを見ました。
感想です。
おもしろかったぞ!
ここから読んだ人は、何のことかわからないと思います。
これは、前回の続きです。
てっきり、つまらない映画だと思っていました。
始めのほうで、主人公の子供のころの回想シーンがあります。
ここでは、母親がいなくて、父親との思いでシーンが出てきます。
たしか、原作では、逆だったと思います。
父親がいなくて、母親との回想シーンだったような・・・
なにぶん、原作は10年ぐらい前に読んだので、記憶が間違っているかも?
そのような、突っ込みを入れながら見ていました。
ジョディ・フォスター演じる主人公は、自分の考えを貫き通すようなタイプ。
また、大人の世界の駆け引きなんかが苦手なタイプ。
がんばれば報われるって考えているような人でしょうか。
自分を反対している人に、結果を持っていかれるところで、クスッと笑ってしまいました。
もうちょっと、うまくやればいいのに。
使えるものは、利用すれば~
でも、10年前の私は、そんな事や考えが出来ませんでした。
つまり、主人公の行動は、10年前の私の姿でもありました。
多分、10年前に、この映画を見たときも、主人公は自分の姿だと気づいたでしょう。
私も、努力は報われると考えていました。
でも、今見てみると、自己中心的な考えだったのかも知れません。
人間は、一人では何も出来ない。
そんなことを認めたくなく、この映画が面白くないと思ったのかもしれません。
また、この映画は、宗教的な部分もあります。
私たち日本人は、宗教イコール怪しいって考えがあります。
オウムの事件が、さらにこの考えを強めたかもしれません。
この映画が公開されたときは、そのオウムの地下鉄サリンの事件の数年後です。
そのため、神の存在の有無等、宗教的部分に反応して、面白くないと思ったのかもしれません。
果たして、真実はどうなのでしょうか?
自分のことでありながら、本当に面白くないと思ったのか謎です。
私も、いろいろ勉強しました。
その結果、本音と建前も少し使えるようになりました。
うそも言えるようにもなりました。
私は、汚れたのでしょうか?
10年前の私と話をすることが出来れば、ヤング私から非難されるかもしれません。
眉間にしわをよせて、自信たっぷりに、今の私を攻め立てる自分が想像できます。
あんた、まだまだ若いな。
これから、沢山苦労するぞ。
そのように、心の中で今の私は思うでしょう。
でも、微笑むだけで、何も言わないかもしれません。
だって、知ってしまうと生きていけないかも知れないからです。
さて、先ほどの、本音と建前や嘘の対する考えです。
これらは、人間関係をうまく進めるために必要な場合もあります。
場合によっては、嘘も必要。
常に本音を語る世界なんて、住みたくありません。
たとえ嘘でも、のちに、嘘がまことになる場合もあります。
ほんの些細な嘘が、相手の心の支えになり、がんばれる場合もあります。
こんなことを、10年前のヤング私に言うと、多分煙たがられるだろうな~
こんな私ですが、はたして、さらに10年後の私は、今の私をどう思うだろうか?
えっ!10年後はこの世にいないかもって?
いや~まだまだ大丈夫だよ~
こんな人が、どうなるかわからないってか!
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