実は、あの人より偉大?C言語およびUNIXの父、デニス・リッチー死去 ― 享年70歳

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デニス・リッチーが、先週亡くなっていたそうです。

享年70歳だそうです。

実に残念です。

goodbye, world ですね~

そういえば、最近、アップルのスティーブ・ジョブズが死んじゃいました。

そして、大きな話題になりました。

デニス・リッチーの場合どうでしょう?

あんまり大きなニュースになっていないような・・・

社会に与えた影響からいえば、スティーブ・ジョブズに負けず劣らず、いや、それ以上に偉大だとおもいます。

ところで、デニス・リッチーってだれ?

デニス・リッチーは、C言語およびUNIXの父なんていわれているようです。

私にとっては、UNIXよりC言語の方がイメージ的に強いです。

C言語とは、プログラミング言語の事です。

私は、趣味でプログラムを作りますが、初めて覚えたプログラミング言語が、C言語でした。

だから、そのC言語を生み出したデニス・リッチーの死を聞いて、感慨深いものがあります。

ちなみに、C言語のプログラムの本で最初に練習するのが、ある言葉を表示されることです。

その言葉が、hello, world です。

改めて、デニス・リッチーについて、ちょこっと調べてみました。

デニス・リッチー(Dennis MacAlistair Ritchie, 1941年9月9日 – 2011年10月8日[1])は、アメリカ合衆国のコンピュータ技術者。C言語の開発者として知られる。

UNIX(オペレーティングシステム)のオリジナルの開発者の一人であると共に、UNIXの記述言語として、ブライアン・カーニハンと共にC言語の開発に関わった。K&RのR。C言語の原型はケン・トンプソンのB言語であり、リッチーはこれにデータ型と新しい文法を追加しC言語が出来上がった。

現在、C言語はハンドヘルド型コンピュータからスーパーコンピュータまであらゆるタイプのプラットフォーム上で用いられており、リッチーの業績は非常に大きい。

晩年は、引き続きベル研究所にて、1995年に発表されたオープンソース版の分散システム用オペレーティングシステムであるPlan 9や、1996年に公表された分散システム用オペレーティングシステムのInfernoとその言語Limboの開発に携わった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%BC

どうです、デニス・リッチーの偉大さがわかっていただけました?

「えっ!わかんない?だってプログラムなんてつくらないし~」

そんなことを言っていたら、頭ぽんぽんの刑ですよ~

まず、C言語です。

プログラミング言語はいろいろあります。

もちろんC言語以前にも、プログラミング言語はありました。

しか~し、C言語以降は、どのプログラミング言語も、C言語の影響をうけています。

どれくらい似ているかって?

私程度の実力なら、どのプログラミング言語も、ほとんど一緒に見えます。

だから、ちょっと違うところを覚えるだけで、ほかのプログラミング言語が使えます。

とはいえ、実際は、プログラムの書き方ってところで、かなり苦労するのですが・・・・

なんか説明むずかしいな~

興味ない人に、あんまり詳しく書いてもなんですし~

次に、UNIXです。

UNIXとは、OSのことです。

早い話、Windowsの仲間です。

今では、一般の人にとっては、Windowsの方が有名ですが、WindowsもUNIXの影響をかなり受けているとおもいます。

なぜなら・・・長くなりそうなのでやめ!

そういえば、本当かどうか知りませんが、Windowsを作っているのは、マイクロソフトですが、そのマイクロソフトでもUNIXを使っているとか?

つまり、自分ところの商品を使わずに、別の会社の商品を使っているってことです。

なんか笑えますが、見栄より、効率を優先しているのなら好感がもてます。

それでも、windows serverは屑ってことでしょうか?

C言語もUNIXの説明も、なんか、ぐだんぐだんになってしまいましたが・・・

興味のない人にとったら、本当につまらない話なので、何を書こうかと思って書いたら、こんなのになってしましました。

私としては、もっとマニアックに書きたかったのですが、世の中には、もっとマニアックな人がたくさんいるので、他の人に任せます。

さて、デニス・リッチーは、70歳で亡くなったようですが、長生きなんでしょうか?

スティーブ・ジョブズに比べたら長生きですが、日本では、年金の支給年齢を70歳に引き上がることを検討するとか。

その70歳で死んじゃったら、日本では年金をもらえないよ~

頑張って生きなきゃ~

ま~、こんな日本に生まれてりゃ~、逆に長生きしたくないかもね~

C言語およびUNIXの父、デニス・リッチー死去 ― 享年70歳

UNIXの父であり周囲の尊敬を集めたコンピュータサイエンティストのデニス・リッチーが、しばらくの闘病を経て先週亡くなっていたことがわかった。享年70歳だった。

リッチー(dmrと呼ばれることもある)は、プログラミング言語のひとつであるC言語を生み出したこと、そしてケン・トンプソンとともにUNIXを創りだしたことで世界中にその名を知られている。リッチーはキャリアのほとんどをベル研究所で過ごした。彼が加わった1967年当時はアメリカで最も巨大な電話回線提供社であり、かつ最も有名な研究所のひとつを運営する大企業であった。

60年代後半にトンプソン(彼はCの前進であるB言語を生み出した)とベルで働いているとき、訪れようとしていたミニコンピュータ時代をにらみ、より効率的なオペレーティングシステムを開発しようと思い立った。二人を中心としたこの作業は、1971年のUNIXへと繋がっていった(DEC PDP-11の上で動作した)

UNIXは安価で、かつさまざまなマシンを動作対象として想定してはいた。いったん動作させることができれば、その上にさまざまなソフトウェアシステムを載せることができるようになっていた。しかしOSがマシン語(アセンブリ言語)で記述されていたため、移植性も低く、またメモリの取り扱いにも苦労することとなった。

そこでリッチーとトンプソンは、C言語のシンタックスを発展させつつ機能を増やし、ついにはOSを記述できるところまでに性能をあげていった。そして1973年までにはついに、UNIXをCで書き換えてしまったのだ。カーネル部分は同年中に公開された。

今日、C言語は依然として2番目にポピュラーな言語として世界中で使われている(ないし、これまでに記述されたコード量としては第2位につけている)。そしてC++やJavaにさまざまな考え方が引き継がれていった。またUNIXについての二人の仕事は、たとえばLinux TorvaldsのLinuxなどにも引き継がれていった。このUNIXの仕事だけでも、リッチーは現代でもっとも重要なエンジニアのひとりとして位置づけられるべきだろう。

実際、UNIX関連の仕事により1983年にはケン・トンプソンとともに、チューリング賞を受賞している。また1998年には当時の大統領であるビル・クリントンからアメリカ国家技術賞を受け取っている。

C言語およびUNIXの父、デニス・リッチー死去 ― 享年70歳 (TechCrunch Japan) – Yahoo!ニュース.

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