曹操の墓が、見つかったようです。
曹操とは、三国志の曹操のことです。
私も、過去に三国志の本を読みました。
吉川英治の三国志です。
とても面白かったです。
どの辺が?
内容は、すっかり忘れました。
機会があれば、また読んでみたいです。
前回読んだときは、無職だったので、一気に読みました。
実は、今回これを書くにあたって、私の読んだ三国志は、吉川英治だったかな?
ってことで、吉川英治を調べました。
そして見たのがこれ。
中国の後漢末から三国時代の歴史物語を『三国志演義』に基づき、悪役扱いであった曹操を魅力的に描くなど人物描写に新たなる解釈を加えたり、戦闘シーンを簡略化させるなどして描く。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
うん!どうも私が知っている曹操とは、脚色された曹操だったんですね~
ま~、普通は、物語に出てくる人物は、実際とは違ったりしていることはよくあることです。
例えば、坂本龍馬とか。
そんなこともあり、曹操も物語の人ってイメージがあります。
で、今回の記事をみて、
やっぱり、曹操っていたんだ~
って感じです。
さて、この曹操の墓ですが・・・
本当か?
疑ってしまいます。
なんせ、情報元が中国なもので。
あの国なら、偽装もありうるかも。
そういえば、中国もいつの間にか、胡散臭いイメージになりましたね~
私の子供の頃は、中国には未知なる神秘のイメージが有りました。
昔々のことです。
中国の毛生え薬が流行りました。
あの頃は、神秘の力で毛が生えるイメージが有りましたが・・・
今なら、怪しい成分のせいで、毛が抜けるようなきがします。
ところで、私は中国人と働いことがあります。
おかげで、中国人が大嫌いになりました。
そんなこともあり、中国人は信用出来ません。
河南の墳墓「曹操の墓」と断定…遺骨を確認・副葬品の数々も
27日付中国新聞社電によると、河南省政府で文化財の保護・管理を行う部署の省文物局は同日、安陽市安陽県の安豊郷西高穴村の「曹操高陵」を、国時代に活躍した曹操(155-220年)の墓と断定したと発表した。「曹操高陵」内部からは、60代男性のものとみられる遺骨も見つかった。
曹操の墓と伝えられている陵墓はほかにも多く、安豊郷西高穴村の“曹操”高陵を「根拠のない伝承」と疑う声も多かった。河南省文物局の陳愛蘭局長によると、墓の規模や状況などが当時の記録と合致し、内部の壁画も後漢末から魏の時代のものと判断できた。
最も有力とされた証拠は、「魏武王」との文字が刻まれた石牌が発見されたこと。記録によると、曹操は「魏公」ついで「魏王」に封じられた(地位を与えられた)。死後に贈られた諡号(しごう)は「武王」で、出土した石牌と一致する。
なお、曹操は後に「魏の武帝」と呼ばれるようになったが、曹操を「武帝」と称するようになったのは子の曹丕が後漢の献帝からの禅譲(位を譲ること)により皇帝に即位してから。石牌にある「魏武王」は、むしろ曹操が死去した当時の史実に合致しているという。
陵墓の墓室からは遺骨も見つかった。専門家の鑑定によると60代の男性。66歳で死去したとされる曹操と年齢面でも一致するという。
写真は、「曹操高陵」で発見された副葬品。めのうの装飾品などで、当時の工芸の水準と美意識を知る手掛かりになるという。
魏・呉・蜀漢が並立した「三国時代」は、語り物や劇などでさまざまなエピソードが広く親しまれるようにった。それらを集大成したのが「三国志演義」。民間伝承や三国志演義で曹操は、漢の皇室を脅かし天下をねらう「冷酷無慈悲な敵役(かたきやく)」として描かれている。しかし実際には「すばらしい能力の持ち主で、新しい時代の到来を目指した人物」などの評価が定着している。
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