最近、心どんより。
なんか優れない。
毎日、同じことの繰り返し。
まるで、ビデオを繰り返し再生しているかのごとく。
いつも同じ電車にのり、同じところで降りる。
そして、同じ場所で、同じ人にすれ違う。
もし、これが映画なら、何かハプニングが起こるだろう。
でも、実際は、映画とは違う。
また、同じ一日が始まる。
そんな生活をしていると、心が細る。
心が細ると、何もかもがつまらなくなる。
そして、それが続くと・・・
それが普通になる。
でも、他人から見ると病気だ。
ま~、鬱ってやつかな。
私は、そんな状態が約10年続いた。
いま、その状態のころを客観的に見ることが出来る。
あのころは、そんな自分を客観的に見ることが出来なかった。
だから、今は鬱ではないのだろう。
そんなこともあり、心が沈んだときには、心を動かそうとする。
そんな時には、旅にでる。
もちろん、そんな暇も金もない。
また、鬱の場合は、旅に出るのはよくないとされていたはずだ。
私も、そう思う。
気分が晴れるのは、あなたが健康な心を持っているから。
でなければ、更なる孤独を感じる。
ここまで読んだあなたも、かなり心がどんよりになったのでは?
ま~、それもたまにはいいのでは?
世の中の自己啓発の本を読むと、心をポジティブにするように書いてある。
しかし、私の経験上、それは心にはよくない。
不自然だ。
たまには、どんよりも必要だ。
まるでそれは、天気と同じだ。
生活するうえでは、晴天の方がいい。
しかし、生活するうえでの水を得るためには、どんよりの雨天も必要だ。
さて、どんよりもいつまでも続かない。
人間の心は、自分である程度操作できる。
その前に、心は自分か?
多くの人は、心を自分だと思っているのではないだろうか?
私は違うと思う。
もしそうなら、私たちは、心の赴くままに生きることになる。
あなたは、こんな場面を見たことはないだろうか?
飼い犬に引っ張られて、散歩している人を。
もし、心が自分なら、まさにこれと同じ状態ではないだろうか。
でも、その心が、自分にとってよい事ならいいのだか。
そんなに都合よく、物事は進まない。
その結果、ギャンブルに走ったり、アル中になったりと、依存症になるのではないだろうか。
では、このようになれば、どうすればいいのか?
つまり、これが出来るということは、心は自分ではないのだろうか。
私は、人間は大まかに分けて、3つで出来ていると考えている。
1つは、肉体。
そして、心。
次が困る。
そこで、思いついた単語を当てはめる。
魂。
別に、私は宗教を信じているわけではない。
過去に宗教にかかわったことがある。
でも、私にとって宗教は、何の心の支えにもならなかった。
逆に、この程度で、心のすべてをささげる人が羨ましかった。
そういえば、徳島の阿波踊りのなかに、
おどるあほうに、みるあほう、同じあほなら、おどらなそんそん。
ってのがあった。
私のように、くだらない考えをするなら、心を預け、宗教にどっぷりつかったほうが幸せかもしれない。
さて、自分が魂とする。
すると、心どんよりに向かおうとする、心を引っ張ることが出来る。
こんな経験はないだろうか。
たとえば、緊張の場面。
入試試験であったり、面接だったり。
そんな時、ばかばかしいと思いながらも、手に人と書く。
そして、それを飲むまねをする。
これも、心を操作するひとつではないだろうか?
私は、先ほども書いたが、人間は、肉体、心、魂で出来ていると考えている。
そして、自分は、魂だと考えている。
心は、自分の子分だと思っている。
この子分、たまには、自分を楽しませてくれる。
だが、油断すると、心どんよりに引っ張られる。
そこで、心に私が主人だと教えるようにしている。
そのように努力しているのだが・・・
なかなかそれが出来ない。
ま~、人間だから。
さて、私が心どんよりした時の事だが。
昔は、映画などを見ていた。
特に洋画を見ていた。
でも、最近は、まったく心が受け付けない。
どうも、白々しく見える。
洋画の場合、悪と正義がはっきりしている。
でも、人間はそんなに明確に分けられない。
そんな単純なものではない。
では、どうするか?
そんな時は、漫画を読む。
漫画?
確かに、くだらないものも多い。
だが、中には面白いものもある。
漫画のいいところは、テーマがしっかりしているところだ。
たとえばドラマの場合。
万人向けに作る。
すると、意味もなく恋愛を絡めたりする。
その結果、原作と違うものが出来てしまうこともよくある。
だが、漫画は違う。
たとえば・・・
ここで例を挙げようかと思ったのだが。
人それぞれ、感じ方も違う。
また、お気に入りを見つけるのも、楽しみの一つでもあるのでやめておく。
ま~、私も年とともに、あんまり漫画を読みたくなくなってきた。
そんな感じなので、漫画を買ってまで読もうと思わない。
そこで、いつも漫画が読みたくなったら、古本屋に行っている。
その古本屋までは、ちょっとした距離がある。
しかし、その古本屋に行くときは、心どんよりのときだ。
そこまで歩いていくことが、ちょっとしたストレス発散にもなる。
そういえば、最近、そこの古本屋に行っていない。
だからといって、心晴れ晴れかというと違う。
なぜ行っていないのか?
理由は、いまいち落ち着かないからだ。
以前から、落ち着かないかと言うと違う。
ある時からだ。
そのある時とは、店内のレイアウトを変えてからだ。
以前は、入り口の近くのほうに漫画があり、奥の片隅にゲームを置いていた。
それが、ゲームを手前に、そして漫画が奥になった。
また、漫画を入れている棚も高くなったと思う。
それに、本棚の間隔も詰めたのだろうか?
立ち読みしていて、かなり圧迫感を感じた。
私だけだろうか?
そのためか、立ち読みする人が急に減ったように感じる。
そんなこともあり、最近その古本屋に足が遠のいていた。
でも、久しぶりに、その古本屋に行った。
すると、その古本屋がつぶれていた。
やっぱり・・・
これで、私の休日に過ごす場が一つ減った。
仕方ないので、そのまま家路に向かった。
すると、閉店の知らせの張り紙が目に入った。
先程の古本屋とは違うところだ。
別の店。
そこは、食べ物屋だった。
その張り紙には、50年だったかな?
長期にわたり営業してきたが、このたび閉店することにしたことが書かれていた。
ここもか・・・
休みのたびに、ふらふらしていると、閉店の張り紙を見かける。
不景気なんだな~
不景気も、ある意味、心どんよりではないだろうか?
つまり、日本中が心どんよりなのだろう。
天気の場合、雨の日があれば、晴れの日もある。
それと同じように、心どんよりも晴れる日がくるだろう。
でも、それはいったい、いつの事なのだろう?
コメント
(^^)/
SAさま
いつもありがとうございます。
やっぱり、人の意見は聞くものですね~
>魂と心が「おい、肉体滅びちゃったよ」なんて話してたりして!
このような考えは思い浮かびませんでした。
昔、ストレスがたまって、もうだめだ(死ぬかも)っておもってから、何のために生きているのか考えるようになりました。
誰もが一度は考えるテーマだと思います。
そして、一生答えが出ないテーマでもあります。
今回のSAさまの意見で、新たな世界が広がったように感じます。
このような、小さな発見こそ、最高の喜びでもあります。
これからもよろしくお願いします。
いろいろなトラブルや病気などに見舞われていると、そんななんでもない1日が、本当は幸せなのかもしれない・・・
と、ふと思ってしまいますね(^^)
まあ、確実に歳は取っちゃうし、魂と心とは関係なく肉体は歳とってくたばってしまったりして・・・(・・;)
で、魂と心が「おい、肉体滅びちゃったよ」なんて話してたりして!(^^;)