やりもしないで、批判をするのも、どうかと思ったので、ツイッターをやってみた。
感想は、やっぱりくだらない。
こんなものが、どこぞの誰かさんが言うような、情報を伝えるようなものになるとは思えない。
最初は、暇つぶし程度にはなるかと思ったが、既に飽きてきた。
それでも、なぜ、熱狂する人がいるのか?
私なりに考えてみた。
ツイッターの画面には、自分が登録した人の書き込みが表示される。
誰かを登録する事を、たぶん、フォローするって言うと思う。
その辺は、ちゃんと調べた訳ではないので確かではない。
もし、フォローした人が、どんどん投稿したとする。
すると、画面がどんどん更新される。
ここが、今までのホームページやブログと違うところかな?
ホームページなどの場合、リンクをクリックしなければ、基本画面がかわらない。
しかし、半自動でかわってくれるので、感覚的にはテレビを見ている感じに近いかも。
ま〜、情報の押し付けって感じにも見えるが。
しかし、人間、本来怠け者である。
自分から行動となると、躊躇してしまう。
そこのところが、ツイッターは新しいかも。
でも、表示される情報は、つぶやきといわれるだけあってくだらない。
まったく見知らぬ、他人の食事のメニューなんてどうでもいい事だ。
そんなものが楽しいのは、始めだけ。
すぐに、現実が見えてくる。
つまり、飽きてくる。
2chねるが、便所の落書きなら、ツイッターは、それ以下のようなきがする。
2chねるには、書き込みが多いスレを一覧にしたページがある。
こちら
こちらのページを、自動でリロードしてくれた方が、ツイッターより価値があると思う。
ま〜、そんな事をしたら、サーバに負担が掛かるのでしないと思うが。
次に、魅力と思われることに、フォローされる数を増やす。
これは、ホームページなどでいえば、相互リンク見たいなものかも?
フォローされると、フォローしたあいての画面に自分の投稿が表示される。
一種の自己満足。
たとえ、相手が自分の書き込みを読んでいなくても。
普通は、読んでいないだろう。
なぜなら、次々に新しい投稿が表示されるからだ。
投稿したその時に、相手が画面を見ていなければ読んでもらえない。
それに、まったく他人の書き込みなんて、興味ないと思う。
それなのに、なぜ見知らぬ相手をフォローするのか?
確かではないが、自分がフォロー出来る数が決っているようだ。
それを増やすには、自分のフォローされている数を増やす必要がある。
だから、持ちつ持たれつの関係が成立する。
それに、人間は数字が好きだ。
なぜなら、子供のころから数字で評価されるからだ。
そのためか、フォローの数が増えると高揚を覚えるようだ。
それがわかるのが、フォロー数が、キリ番などを越えた場合の報告の書き込みだ。
正直なところ、他人のフォロー数なんて、まったく興味ない。
完全に自己陶酔の、自己満足の世界だ。
現代は、人との関係が希薄になっている。
誰もが、つながりを求めつつ、適度な距離感を求める。
ツイッターのフォローは、そんな隙間を埋める効果があるのだろうか?
ちなみに、私には、どうでもいい事。
しかし、私のフォロー数が増える事は、別の意味で興味がわく。
なぜなら、私のつぶやきは、ネガティブなつぶやきばかりだからだ。
それも、ツイッターを否定する事ばかり。
いま、ツイッターをやっている人は、ツイッターが面白いと思っているはずだ。
でなければ、とっくに止めている。
そんななかで、自分の価値観を否定するようなつぶやきをする人をフォローするとは・・・
ま〜、それも、他人の書き込みなんて読んでいないからそんな現象が起るのかも?
それより、自分のフォロー数を増やすことの方が重要なのだろう。
相手がどんなのでも構わない。
質より、量の世界なのだろう。
だから、数打てば当たる状態なのかもしれない。
今のところ、私が感じたのは、こんなところだ。
正直なところ、これ以上ツイッターを続けるのは辛い。
あまりにも意味が無さ過ぎる。
若い頃は、いかに大量にある時間を消費するかを考えていた。
しかし、年とともに、時間こそが一番大切だと思うようになってきた。
そんな大切な時間を、こんなツイッターごときで潰すのは、あまりにももったいない。
こんなものが、いつまでも流行るとも思えない。
もし、流行ったら、改めてやってみようと思う。
その時には、新たなる価値観が出ているだろう。
それから始めても、遅くはないのでないだろうか?
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