今日で、震災から15年経ったようです。
いまでも、あの朝の事は憶えています。
あの時は、本当に死ぬかも思いました。
同じ死ぬなら、温かい布団の中でって思いました。
別に、冗談でも何でもありません。
私の場合、震災後の方がたいへんでした。
それは、物理面ではなく、精神面です。
眠りが浅い、ちょうど震災を経験した朝のような、ぼんやり状態のときに、揺れを感じました。
そう、あの恐怖が蘇るのです。
その結果、ちょっと、精神が不安定に。
ま〜、こんなくらい話は置いといて・・・
さて、私の部屋には、テレビがありません。
しかし、隣の部屋からのテレビの音がよく聞こえます。
隣は、年寄りのため、テレビの音を大きくしています。
今日は、朝から、震災のテレビをやっているようです。
しかし、その内容ですが・・・
悲しみをそそるようなものばかりです。
うんざりです。
または、震災を忘れないみたいなものや。
やめてくれ。
私から見ると、お涙ちょうだいの、ドラマとかわりません。
いったい、何が伝えたいのか?
震災は、人災とは違います。
防ぐことができません。
それを、15年もたった今、振り返ってどうなるの?
忘れかけた、悲しみをい思い起こしで何の得が?
私の経験した、震災は違います。
人間、なんとかなる。
です。
私の場合、それほど被害はありませんでした。
しかし、中には、家がつぶれた人も。
それ以外に、食べ物や飲み物が手に入らなかった人など。
そんな人が、みんな悲しんでいたでしょうか?
いいえ、違います。
どちらかといえば、女性の方が元気でした。
ある飲み屋で知り合った人は、久しぶりのアルコールに、かなり満足。
聞いてみると、かなり悲惨でした。
しかし、笑顔満点。
ま〜、実際は大変だったと思います。
私は、震災後に、神戸にいきました。
なんせ、神戸でも働いていたことがあったので気になりました。
行ってみて驚きました。
見慣れた建物が、瓦礫の山。
私の知っている三宮とは違います。
でも、今はもとの姿をしています。
私は、震災の悲しみを引きずるより、人間はどんな場合でもやり直すことができることを伝えるべきだと思います。
確かに、悲惨な状況のほうが、テレビ的にはおいしいでしょう。
しかし、過ぎたことをひっぱりだして、何になる?
善人ぶって、人のことを心配しているように見えるかも知れないが、結局は、それを食い物にしているのでは。
私としては、立ち直る姿の方が見たいです。
「犠牲者の分、精いっぱい生きる」=「1・17のつどい」に8000人
阪神大震災から15年となった17日、神戸市中央区の東遊園地には、夜明け前から遺族や被災者ら多くの市民が訪れ、それぞれに家族や友人らの冥福を祈った。
市民団体など主催の「阪神淡路大震災1・17のつどい」。午前7時には約8000人(市発表)が集まり祈りをささげた。幼児を連れた母親。車いすの高齢者。ある者は手を合わせ、ある者はろうそくの火を見詰めた。
参加者は「1・17」の数字をかたどった竹灯籠(とうろう)に火をともし、地震発生時刻の午前5時46分に全員で黙とう。遺族代表下浦裕美さん(49)が「感謝の気持ちを忘れず生きていくことが亡くなった方々への供養になると信じている」と話し、参列者らが白菊を献花した。
神戸市灘区の田中美栄子さん(68)は大学3年だった三女舞さん=当時(21)=を亡くした。夜が明け始めた空を見上げ、「この時間帯、私はがれきに埋まっていた」。
全壊した自宅から助け出され、近所の人を呼び集め舞さんを救出した。息をしておらず、唇は真っ青だった。付きっきりで見守ったが、「これ以上は無理です」と医師に告げられた。「最期の姿を思い出すと残念でならない。家族みんなが元気に生活することが娘への供養」と涙を流した。
幼なじみの親友3人を一度に亡くした神戸市須磨区の男性会社員(28)。竹灯籠の前でうずくまり涙を流した。震える手に握り締めていたのは、全壊した自宅から見つかった目覚まし時計。針は「5時46分」で止まっている。「きのうの出来事のよう。悔しいが、どんなにつらいことがあっても友達の分も精いっぱい生きようと思う」と唇をかんだ。
「犠牲者の分、精いっぱい生きる」=「1・17のつどい」に8000人(時事通信) – Yahoo!ニュース
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